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夢二の小径
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遅ればせながら、友人を誘って清水寺へ初詣に行ってきました。昨年末に京都国立近代美術館で「川西英コレクション」の夢二展を観たこともあって、この日のもうひとつのテーマは夢二ゆかりの地めぐり。二年坂は夢二が恋人の彦乃と一緒に住んでいたことで有名ですが(寓居跡の石碑が立っています)、ザ・観光地ということもあって、近くに住んでいるとかえって行かないものです……。

お昼近くに集合で、ランチは洋館好き必見の「夢二カフェ 五龍閣」。京都大学時計台なども手掛けた武田五一さんの設計した大正時代の建物(元は個人の邸宅で、迎賓館としても使われていたそう)が、たまらなくロマンティックです。そろそろ1月も終わろうとしていますが、この日も着物姿のかわいい乙女たちでにぎわっていました。

このサンルームでお庭の噴水をのんびりと眺めながら、堀川ごぼうや伏見とうがらしといった京野菜を添えたハンバーグ、カレーなどをいただくことができます。経営は湯豆腐の『順正』なので、サラダにもお豆腐がのっていたり、食後のドリンクも豆乳コーヒーというのがあって美味でした。
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天井のすぐ下にある、鳩のステンドグラスは1枚、1枚図案が違うのです。飾ってある夢二作品は『婦人グラフ』などの雑誌の表紙を額装したものなどが多かったのですが、暖炉や燭台、チャーチチェアなどのある内装とぴったりマッチしていました。

夢二といえば、日本初の雑貨屋さんといわれる「港屋」を開いたことでも知られますが、少年時代の東郷青児が一時期、この「港屋」で夢二の絵の写し(半襟などの)をしていたといわれています。
東郷本の制作中に、東京・雑司ヶ谷霊園にあるお墓参りに行ったのですが、同じところに夢二も眠っているということで探してみたところ、東郷家之墓はそれなりに立派なお墓でちゃんと経歴を刻んだ石碑なども立っていたのに、夢二のはびっくりするほど小さく質素なお墓で見つけるのに苦労した記憶があります。



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乙女の聖地・縁結びの「地主神社」にあった、七夕のこけし短冊。女の子のこけしに自分の名を、男の子のこけしに彼の名を書いてかたく結び合わせ、奉納すると恋が成就するのだとか。いちおう、もう私には(たぶん)関係ないものなわけですが、なんともかわいらしい行事。まだこの人!と思う彼が現れていない場合は、理想のタイプを書いて奉納することもできるのだとか。

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夢二が彦乃と通ったという甘党の店、「かさぎ屋」。このお隣に住んでいたそうで、寓居跡は今、その名も「港屋」という夢二グッズのお店になっています。木版刷りの封筒や、モダンな風呂敷バッグが素敵でした。
あんこ嫌いでお汁粉もおはぎも食べられないのに、どうしても入ってみたくて「かさぎ屋」でおやつ休憩。甘味は友人に任せて、お抹茶のみいただく私……。真っ白な割烹着姿の看板娘?的おばあちゃんがはこんでくれる、熱いお茶の入った急須、湯のみもすごい年代物で感動しました。内装も想像以上の古めかしさで、たぶん夢二がいた頃の面影そのまま。壁に「かさぎ屋さん 夢二」と書いた色紙(風景を墨一色で描いたもの)が飾ってありました。
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手持ちの数少ない夢二本。左の「夢二図案集」(野ばら社)、ずいぶん昔に京都の河原町通りにある古本屋で買ったもの。右は、80年代に復刻された詩歌集「青い小径」(ほるぷ出版)。この表紙も、そういえば仲睦まじい2羽の鳩です。美人画やグラフィックデザイン的な作品はもちろん好きだけど、同じくらい好きなのが詩やエッセイなどの“夢二のことば”。

彦乃の父に交際を反対されていたというふたり(夢二には妻子がいたので、当然ですが……)。彼女と一緒にいた頃の詩に、「過ぎし時も来る日も 忘れたる昼の夢なれ。ただ、今宵 君と共にあるこそ 真実なり」というのがあって、昨日も明日もない、私たちには「今」しかない、というその刹那的な感じにぐっときます。明日にはもう一緒にいないかもしれない恋人と、どんな気持ちでお汁粉を食べていたのかな。そんなことを考えながら、石畳を降りたのでした。
by interlineaire | 2012-01-23 15:24 | Comments(0)
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